経験の棚卸し
2021になったわけだが、2020末日をもって私は新卒入社した会社を退職した。
業務内容は好きだったし、まだまだ頑張りたくもあったが、うつ病になる前に辞めようと思って辞めた。
あの会社をやめた要因については、まだ自分でも不明瞭な部分があるので別で考えるとして、今日はその中でも2020という1年間について書きたい。
2020、年始に転勤があった。
同じ課内ではあったが、課内で最も遠隔地へ異動し、掴みかけていた相場観が消え、築いてきた人間関係もリスタートとなり、私にはあまりにも厳しいスタートだった。
そこでは仕事のやり方、考え方、やりやすさ、立場などあまりにもこれまでの環境と乖離が大きく、初めの私はこれまでのやり方に固執するあまり周りの人々に大きな迷惑をかけてしまったと思う。
先輩に、異動のコツはそれまでのことを全て忘れて一から覚え直すことだと言われていたにもかかわらず、だ。
今では単純に視野が狭かったなと反省しているが、その頃は好きだった前の職場を否定されたくなくて必死だった。自分のやり方が認められれば、前の職場も認められると思っていた。
転勤地で、4月に赴任した店長とはまるで合わなかった。
他人の扱いが下手な人だったなと思う。
ただ、私はそういう相容れない人間に対して、何とかして叩きのめしたいと思ってしまった。
どうにか自分が正しいと思う方向へその人を向かせたいと思い、自分が正しいと思うことにそぐわない行いは徹底的に批判した。
そうこうしてすり減った精神に対して、周りの同情を得ることには成功していたが、そこで言われた大人からのアドバイスは、「受け流すこと、自分の対応を変えること」だった。
期待して裏切られるから怒る、そもそも期待をしないこと、そして他人は変わらないから自分の対応を変えて生きやすくすること。
それを聞いて、傷つけられた私、正しい私がどうして我慢して受け流さなければならないのだ?と納得がいかなかった。私は傷つけられた分、相手を傷つけたかった。
だがしかし、それは無謀だった。
なぜなら相手は何処までも他人だからだ。
人間は、大人になるにつれて自己と他者の境界線がハッキリするようになる。
私は小学校低学年くらいのとき、初めて他者が自分とは全く違った考えを持つ個体の人間なのだと認識した。
それまで世界は自分しかいなかったし、自分の考えが世界の考えだった。
すれ違う人間がひとりひとりに別の思考を持つ他者であることを初めて認識した瞬間をよく覚えている。
そこでうっすらと引かれた他者との境界線は、実は私の中でまだ実線とはなっていなかったのかもしれない。
他人を自分の思う通りに動かすことは出来ない。
技術を習得すればある程度は可能であるが、それもあくまである程度であって完全ではない。
気に入らない人間を傷つけようとすることは物理的には簡単だが精神的にとなると難しい。
何故なら自分が傷つくことが相手も傷つくこととは限らないからだ。
嫌味なことに、この教訓は憎んだ相手に気付かされた。
地獄のような1年間だったが、そうした他者との関わりや境界線を認識し、一歩大人になった1年だった。
絶対に感謝なんぞはするわけがないが、あの地獄の日々も完全なる無駄ではなかったなと思う。
私は文章を書くのがちょっと得意なのかもしれない
ブログかくかく詐欺師です、こんばんは。
ずっとブログを書くぞとTwitterで言っていたくせに記事として上げるのは9ヶ月ぶりという詐欺師。
さて、今日のタイトルは「私は文章を書くのがちょっと得意なのかもしれない」。
もちろん世の中にはもっと得意な人がいるのだろうが、私も「ちょっと得意なのかもしれない」と、今日ふと思ったのだ。
文章はつまることろ訓練によって上達する。これは大前提だ。
自分の考え、空想、妄想等の内なるものを言語化して外に出す作業は、訓練を行えば行うほどにうまくなる。
ただしこれには条件があり、それは他人に読まれるフィールドで一定のまとまった分量があるということだ。つまり自分しか読まない日記やSNSでは訓練にはならない。
話し言葉と書き言葉という概念があるが、新入社員の書く文章を見ていると、それが出来ていない子のなんと多いことか!
社会人になる前の就職活動の時も、大学の友人のESを添削していた時に、「何故こんなに読みにくい文章を書くのか?」と思った。
では何故、私はちょっと得意なのかもしれないのか?
文学部でインプット量が多かったからというのもあるだろうが、文章上達はアウトプットをしなければ始まらない。
私のアウトプットの原体験は、小説を書くことであった。
小学生で本を読み始めた頃、同時に気に入った本のパクリとも言えるような物語を書いていた。
仲の良い友人が好きすぎて、彼女の真似ばかりしていた頃だ。
それから中学生頃までよく小説を書いていた。
原稿用紙に書いたり、ノートに書いたり、ガラケーに書いていたり。
見切り発車で完結のしない物語を何個も量産しては、将来は小説家になりたいなどと言っていた。
高校生になって、殆ど書かなくなっていたけれど、相変わらず見切り発車の物語を書いていた他、ブログを始めた。
殆ど黒歴史の内容で思い出したくもないけれど、ライブレポ等は読みやすいという嬉しい言葉をもらったこともある。
大学生ではレポートの数が多く、小説を書いたりブログを書いたりということは殆どしていなかったが、このブログも始まりは大学生の頃である。
つまるところ私は、他人より文章を書きながら生きてきた。
無邪気に褒める無知な人が、私に「文章力を生かせる仕事を」などと言ってくることがあるが、小説家の夢を手放し、ライターの夢をやめた私には言葉の暴力ですらある。
でもそうやって訓練してきた日々は裏切らないのだ。
だから私は、小説家になれなかった自分を認めてあげて、「私は文章を書くのがちょっと得意なのかもしれない」とこうして記事を書くのだ。
2019→2020
年越しまであと1時間と少し。
簡単に今年を振り返って来年に繋げます。
さて、2019年はまさに激動、変化の年でした。
まずは大学の卒業。これはでかい。
正直一生出来ないと思ったし中退するかと思った。
恩師の先生に、
「文学が好きという君が卒業出来ないと何のために教えているのかと思っていた」(意訳)
と言われて、私は自分の卒業が周りの人たちに与える影響についてそこで初めて思い至った。
卒業をするのもしないのも関係するのは自分の経歴のみであって、全てが自分だけのことなのだと思ってたけれど、改めて自分という人間が色々な人に支えられていることを実感した。
次に仕事。
社会人2年目、甲府生活2年目。
職場の人が入れ替わったり、自分自身の営業以外に店舗を支える仕事をしたり。
夏と冬に1回ずつ、自分のキャパシティが広がる感覚がして面白かった。
文句も愚痴も、毎日沢山あって、色んな人に話を聞いてもらって、踏ん張って頑張って目まぐるしい日々を過ごした。
12月末のこの1年が終わるタイミングで異動が決まって、取引先の皆さんに挨拶をしたけれど、心から残念がってくれたり、わざわざ挨拶のために事務所に来てくれたりなどして、有難い、得難いと思うと共に、これは傲慢かもしれないけれど、惜しんでもらえる存在になれていたんだと、自分のやってきたこの1年を肯定されたようで嬉しく思う。
2020、新天地でもそういう存在になれるように、また日々を頑張るしかないのだ。
最後は恋人のこと。
彼氏と言うには関係があまり正しくはないが、私は今まで生きてきて初めて、ほんとうのしあわせを手に入れた気がしました。
それで恋人が出来て知ったけど、私はあまりにも現実を生きるのが不得意で、こうしてブログには書けることも、口で言葉にすることが苦手なんだ。
気持ちを言葉にするのは怖いし、考えていることを言葉にして伝えることも怖い。
でも他人には言葉にしないと伝わらないし、伝えないで分かってくれというのはお門違いで、本当に関係を続けたい人にはちゃんと言葉にしようって思うようになりました。
これはね、本当に自分の中では進歩です。
2019年、これが本当にいちばんの自分の圧倒的成長。24年も生きて初めて出来るようになったこと。
2020年は、またきっと色々あるけど、生きるの辞めずに頑張って日々を過ごそうね。
おわり。
24年間自分のことを好きになってくれる人が現れなかった
このブログは自分の経験とか、言葉に出来なかったもやもやを言葉にすることで血肉にしていくためにあるので、今日は私のこれまでの人生で最も大きなコンプレックスであるものについて書きたい。
これを読んでくれているあなたには、自分のことを恋愛の意味で好きになってくれた人はいますか。
現在進行形でいる人も、過去にいた人もいると思います。
いたことない人、この記事はあなたに向けて書きます。
タイトルの通り、私には24年間私のことを恋愛の意味で好きになってくれる人がいなかった。
小学校は公立、中高は私立女子校、大学は私立共学という環境で育った。
よく友人からは、「中高女子校だったなら仕方ない」「これから出来るよ」という慰めの言葉を貰っていたけれども、同じ高校生の時に彼氏がいた子は存在したし、大抵の同級生は4年間の大学の間に彼氏が出来ていた。
彼氏がいなくても、大学に入った途端、友人から異性との恋愛相談が増えた。
私も恋をしていたけれど、それは私の気持ちの問題であって、相手から告白されたこともなければ、私のことを好きになってくれる人がいたこともなかった。
「彼氏欲しくないの?」という質問はよく聞かれた。
「欲しいに決まっている」と毎回答えた。
春は新しい出会いに期待をした。
夏は何かが起こるかもしれない期待をした。
秋は肌寒さに寂しくなった。
冬はイベントのある度に孤独を感じた。
毎年、そうやって過ごしていた。
友人には恵まれている。これは今も昔も変わらず、私の愛する友人たちは誰も彼もが尊敬の出来る素晴らしい人たちだ。
人間関係の徳と運は、友人に全てを使っていると言われたら納得してしまう自分もいる。
私はずっと、「周りと同じようにふつうに生きているつもりなのに、どうして自分のことを好きになってくれる人はいないのだろう」「やっぱり人格のどこかに欠陥があるのだろう」「そういう需要は自分にはこれから一生ないんだろう」と思っていた。
いや、正確には今でも思っている。
恋愛なんてなくても、結婚なんてしなくても、人生は続けることが出来るし、現代は未婚率も高くて珍しいことじゃないけれど、私が思い悩むポイントは彼氏がいないということよりも、自分に恋愛的な意味での需要が皆無であるということだったと思う。
自分が好きじゃない人に好かれても意味は無い、その言い分はわかるけれど、自分が好きじゃない人にすら好かれない私はなんなんだ?と思う。
恋愛はしなくても生きていけるけれど、人間の営みの中で、社会の中で、恋愛というカテゴリーは確実に存在するのに、それを選ばないのではなく、そもそも選択の土俵にすら上がれない自分を、肯定出来るはずもないのだ。
恋愛というカテゴリーの中でだけ、自分が透明人間になった気分がしていた。
人混みの中で、誰も私に気づいていないような気分が永遠に続いていた。
それは寂しさとか侘しさとか、そういったものよりもっと深く、絶望するには希望に縋りたくなり、だがしかし蜘蛛の糸すら見えず、出来ることは自己否定のみだった。
その状態の納得をするには、己を否定しなくてはならなかった。
私が、他の人より劣っているのだと。
人間として欠落した部分があるのだと。
この思考は、いくら他人から「そんなことはない」「いつかきっと良い人が見つかる」「自分が男だったら好きになっている」などの慰めを受けたとしても、何も響かないほど深く暗いものだった。
人は、それぞれに悩みと思考があって、私のこの考えを軽く笑える人もいるし、同じような思考に苦しめられている人もいるし、自分の悩みの方がずっとつらいと考える人もいるだろう。
24歳と2ヶ月、自分のことを好きになってくれる人が生きていて初めて現れました。
それで分かったことは、この孤独と否定は、一生つきまとう呪いなんだということ。
「24年間自分のことを好きになってくれる人が現れなかった」
そういう呪いが、自己否定が、この先のいつまで続くかわからない人生でずっと付きまとってくる。
この先何人好きになってくれる人が現れても、現れなかった24年間という過去の事実は変えられずに、その否定をやめられないのだろう。
この呪いをポジティブに変えよう!等と言うつもりは一切ない。
一度現れたからといって、この呪いが消えることはない。
むしろ今回の一度の奇跡が、本当に人生で最後になるかもしれないと思う。
「そんなわけない、また現れるよ」と友人たちは笑い飛ばす。それは私の呪いを知らないから。
友人たちを否定したいわけでは決してない。
むしろそう言ってくれるということはそういう風に見られているということで、むしろ安心をしているので感謝の念がある。
でもこれは私の思考の問題で、どうすれば呪いが解けるのかわからないまま、ただ呪いと向き合って生きていくしかないのだと思う。
おわり。
人生は1度きりであるということ
人生は1度きりである。
至極当たり前のことでもあり、何故か日々の中で忘れてしまっていることでもある。
このことを深く考え始めると生き急ぐことになりかねないのだが、ふとした瞬間に思い出すと怖くなる。
あれ、私の人生はこれでいいんだっけ? と。
今日まさにそうなったのでこうしてブログを書いている。また仕事のことで落ち込んで、仕事辞めたいなあと考えていた時のことだ。
私が今の仕事をしているのは単に生活のためである。これは裏も表もなく事実だ。
留年していても会社員として働けて、一人暮らしが出来るからという理由で選んだ会社であって、そこに夢や希望があったわけではない。
それでも入ったからには営業として上を目指しているし、その中でやりたいことも出てきた。
やりがいはあるし、収入もあるし、困ることは特にない。
ただ、夢がないだけである。
貴方の夢はなんですか、と問われると、特にないですと言ってしまいたくなる程度には大した考えはない。
ないのだが、最近先輩に「本の話をしている時は見たことないくらい顔が輝いているね」と言われて、嗚呼自分はやっぱりどうしようもないくらいに本が好きなんだと思わされた出来事があった。
そんなにも好きなものがあって、それより優先している生活とは何だろう?と思う。
人生は1度きりである。
23歳の6月はもう二度と来ない。
2019年の6月12日はもう二度と来ない。
夢だけで生きていけないことは理解している。
菊池寛先生も「生活第一、芸術第二」と言っていた。
だからこそ、夢について、私の一度きりの人生について考えなければならない。
もう眠くて考えられなくなってきたのでここでやめるけれど、人生について私は今一度考え直さなければならない。
目の前のことだけでは、後に悔いることになってしまうでしょう。
営業と成績の話
この前のブログでも仕事のこと書いていたのにこのブログを見て気づいたけど、まあ今日も仕事の話です。
私はいわゆる営業という職業に就いているのだけど、営業という職業は数字と切っても切れない関係にある。
学生の時もテストは点数という結果が全てだったし部活は勝敗が全てだったわけだけれど、やっぱり仕事は結果、つまり成果で全てが決まるんだよな。
どんだけゲスなやり方をしていても数字が出ていれば誰も何も言えないのが営業だし、むしろ数字さえやっていたら何をしててもいいのも営業だ。
今日上司に言われた「営業は数字で勝負するしかない」って言葉がまさにそういうことで、社会の中で戦うフィールドって色々あるけど営業の場合は数字なんだよな。
私は負けず嫌いの勝気な性格をしているから、仕事の面での根拠の無い自信がわりと常にあって、そういう意味では営業に向いている。
自分の立ち位置を知ること、実力を知ることは何よりも大事だし、出来ること出来ないこととキャパシティを見定めることも大切なんだけれども、数字っていう絶対指標で勝負する時は「負けたくない」とか「私は勝てる」っていう気持ちが続かないとやってられないんだよな。
でも結局営業の数字って掛け算は出来なくて足し算と引き算で出来ていて、しかもそれは+1と-1しかない。ひとつずつを積み重ねることでしか大きい数字になれない状況でその1にどれだけこだわれるかって話だと思うんだ。
コツコツとかそういう地道なことが本当に苦手だし、何よりも継続が苦手だから、いつでもトリッキーなやり方を模索してしまうんだけど、結局1番効果があるのは地道な継続的な努力なんだよなあ。
学生の時は嫌なことから逃げられたしやりたくないことはやらなくて良かったけど、仕事となると嫌なことだって向き合って逃げずに進まなきゃいけなくて、そういうところが本当に大変だしつらいなあって毎日思う。
でも営業のいい所はどれだけ嫌なことがあってやりたくなかったことやらされても、それが数字になって帰ってきたらもう全部どうでもよくなっちゃう。
元々嫌なことはすぐ忘れる人間だってこともあるけど、そうやって嫌だったことでも目に見える1があると次も頑張ろうと思えるんだなあ。
数字は確かに追われると物凄い負担でストレスでやってられないくらいだけど、数字を追うようにしてたらまだ気持ちが楽になる気がする。
結局営業として働くのに数字は絶対についてまわる最大の敵であり最大の味方なんだよな、と思った。
今年は数字追いかけて追いかけてやれるところまでやりきるぞ〜
社会人しんどいなあって話。
タイトルの通りの愚痴を書きます。
このブログ、ぼちぼち仕事のことを書いていたりするので自分の心境の変化が面白く感じられるのだけど、まあいつの時も仕事はしんどい。
この前普通に起きたら8:53で、間に合うはずもなく遅刻したんですが、その時に「うわあやっちゃったどうしよう!?」とかではなく、「あ、遅刻だな」くらいにしか思わなかったんですよ。
その時に(ああ、私はこういうやつだった)って思ったんですよね。遅刻に慣れすぎていて遅刻を重大事件に捉えられない悪い癖。
遅刻って、怒る人は本当に怒るし、どれだけネットを検索しても擁護する意見は殆どなくて、他人の一分一秒を奪うことが如何に卑劣で最悪かってことが言葉強く書かれている。
本当にそうだなあと思う一方で、遅刻を擁護する人がいないのは、遅刻が悪いことだっていう社会の共通認識、大前提があるからでしょう。
時間を守ることは社会の約束事なわけだ。
私はこの社会の約束がどうも苦手で、時間の概念もあまり好きではないのも相まって、時間に関して敏感に居られないのだ。
ただ、社会人になってからはとても気をつけているし、腕時計はずっとつけているし、遅刻だけはしないぞという強い気持ちで生きているのだけど、どうにもそれが無理な時があって、この前はそういう時だった。
たぶん身体の調子が悪い時にこうなってしまうのだけど、そういう自律が出来ない時があって、時計を見ているのに時間感覚が間延びしてしまう。
この前の時だって、五回くらい目覚ましは止めたし、なんなら間に合う時間に1回起きたのに布団に戻ってしまったのだから救いようがない。
これは気の持ちようの問題であって、甘ったれと言われればそうなのかもしれないけれど、そんなことは他人から言われるまでもないことだ。
この話で私が言いたかったのは、社会の約束ってあるよねということだ。
社会人、私が八方美人だからかもしれないけれど、それはもう他人という他人に気を使わなければ生きていけないのだ。
天上天下唯我独尊なんて許されるはずもなく、毎日毎日あちこちの顔色を伺って、頭を下げて、笑顔を作って、声のトーンをあげて、気遣いを見せて。
それだけでも疲れるのだけど、疲れたなんて言っている暇もなく、向上心を求められ続けて、成績成績成績。
馬車馬とはよく言ったものだ、走り続けなければ生きる資格もないように思う。
そんなこと思わずにみんなは真面目くさった顔をしてなんてことのないように毎日働いていて、ああ、私はやっぱり社会不適合者と思わざるを得ない。
そりゃあ誰だって休みたいでしょう、仕事なんかしたくないよと言われるだろうけれど、そんなことを思いながらも働けている人々は偉いしすごい。
休みたいとか仕事がしたくないとかじゃないのだ、仕事は楽しいし無限に続く体力があるのなら休まなくたっていい。
ただ社会の約束を少しだけ緩めて欲しい。
いや、結局は自分の気の持ちようなのはわかっている。誰に強制されたわけでもないことだ。
それなのに強制を感じてがんじがらめに囚われているのは、私自身がそうしているからなのだろう。
もう少し肩の力を抜きたいなと思う。