雑文

 蹲踞から立ち上がって、中段の構えをとるときの、「スッ」とする感じが忘れられない。試合の時も地稽古の時もただの練習の時だって、構えたらもう目の前の相手に技を決めることしか考えていなかった。その日帰ってきたテストの成績も友人との諍いも明日に迫る部活動の雑務の書類を何一つ書いていないことも、全てを意識から外してただひたすらに目の前の相手に向かう。私の剣道とはそういうものだった。

 「面をつけたら私は別人になる」という、バカみたいな妄想をいつもしていた。別人みたいに無慈悲に、ただ強くなりたかった。自分の重い身体を捨てて、別のなにかになりたかった。

 いまでも思い出す試合がひとつある。それは中学の時の地区大会個人戦。相手に1本取られて絶体絶命大ピンチの状況で、何故か負ける気がしていなかった私。練習の時にいつもやっていた、踏み込んで相手の竹刀を払い面を打たせて胴を打つ、払い胴を思い切り決めて1本。相手の竹刀が上がるスローモーションな瞬間と考える前に動いた自分の身体を鮮明に覚えている。そしてその1本を決めたあとの、いまでは親友となった相棒の喜びの声。相手はそれから萎縮、私がもう1本あっさり決めて勝利。あの時から、私はずっとあの瞬間を追いかけている。

 もう剣道をやめて4年目になった。あれから殆ど竹刀すら握っていない。何度かまたやろうとしてやめているし、アトピー持ちの私は剣道に向いていないことも理解している。なのにそれでもまだ夢に見る。竹刀を構えるあの瞬間を夢に見る。気持ちをひとつのことに絞るあの感覚は、何モノにも変え難く、ただひたすらそれを追いかけている。

私たちはもう随分と遠くに来てしまった

 三日前あたりから、世界にむせ返るような甘い香りが漂っている。言わずもがな、金木犀である。そんな金木犀の季節を、

 

期待外れな程 感傷的にはなりきれず

目を閉じるたびにあの日の言葉が消えてゆく  

 

【赤黄色の金木犀/フジファブリック

 

と歌ったのは故・志村正彦その人だ。激しく眩しい日差しが陰りを見せ、気温はだんだんと低くなり、夏のきらめきは記憶の隅へと追いやられる季節。そんな季節に私たちはノスタルジーを覚えるものであろうが、思ったより感傷的、何かにつけて涙脆くはなれない。それは、まだ夏の名残が空気に漂うからか、あるいはもう、あの日の言葉が消えてゆくほど遠くに来てしまったからであろうか。

 

 遠くに来てしまったと私がよく思うのは、何においても幸福だった幼少時代と、振り返ると輝かしい高校時代だ。

 

 幼少時代の、まだ世界が全て自己の内にあった幸福は、どう足掻いても取り戻せないものであるし、年齢を重ねるにつれて手放さなければならないものであると思っている。そこに後悔があるわけではないけれど、ただ、遠くに来てしまったなあと思うのだ。

 

 高校時代は、「振り返ると」とあえて書いた通り、その中にいた私は、真っ暗闇の中を這っていた。1寸先はまさに闇で、何においても不安と閉塞感を感じながら生きていたような気がする。いや、これはあまりに悲観的かもしれない。しかしながら、学校に行きたくなくて1時間目をよくサボったこと、休み時間の度に机に突っ伏していたこと、本を読んでいたこと、長い昼休みにひとりで母の作った弁当を食べたこと、週に1回美術準備室に行っていたこと、移動教室が苦痛だったこと……今思えばつまらないことが、何と深刻な問題だったのだろう!しかしそれらに苦しみぬいていたはずの時間は、いまでは眩しい程に記憶が補正されている。当時の私の本当の気分は、当時のブログの中にしか存在しないが、もう消してしまったのでどうしようもない。ただいま考えるのは、当時の輝かしさも苦痛も、全ては濁りのないものだったということだ。今の私が当時の苦痛を受けても、当時のようにはならないだろう。高校生は純粋だった、そして世間を知らなかった。

 

 夏休みの直前、太宰治の『人間失格』を読んだ。高校時代から何度もトライし、何度も挫折していた小説。その時期の私は気分が最底辺にまで落ち込んでいて、私と世界の間に分厚い膜が張ってある状態であった。つまり、何をするにも気力がわかず、息をするのも億劫で、何かを食べることもしないような、そういう状態だ。色々あって、読む必要のあったそれだったのだが、私は驚くことに物凄く興味深く読めてしまった。あんなに何度も挫折したのは何だったのかと、不思議に思うほどであった。読めば読むほどに葉蔵に肩入れをする自分を発見し、そんな自分を批判する自分が現れる様すらも、それが葉蔵への共感となっていた。

 

自分は立って、袂からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥よりも凄惨の思いに襲われ、たちまち脳裡に浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。

 

【『人間失格太宰治 / 青空文庫

 

これは、葉蔵がツネ子との心中を「実感として」決意した場面である。とても簡単に要約すると、金がないから死のう、ということだが、これはある程度裕福に生きてきてしまった人間が、真に金がないということを理解した時の絶望や恐怖、そして虚無感があらわれた極めて現実的ないい場面だと思っている。金がない、財産がないということは、単に何も買えやしないということではなく、自分は物理的にも精神的にも何も持っていないということに繋がってしまう。死のう、死んでしまおうという状態よりも、「生きて行けない」という、八方塞がりのどうしようもないやるせなさが、心中へと導いた。

 

 読後、少し調べると、『人間失格』は私のように大いに共感する人間と、全くわからない人間がいるらしい。おそらく高校までの私であれば全くわからない内容だったからこそ、挫折を繰り返していたのだろう。そうしてまた、私はもう随分と遠くに来てしまったと実感するのだ。

 

 

歌舞伎鑑賞教室に行った話

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 

方丈記鴨長明

 

 高校生の時、授業で冒頭を暗記させられた。その時は覚えることに必死で、中身は問題ではなかった。受験の時、必死になって覚えた助動詞はもう覚えていない。よって、細かい訳は無理だが、大雑把に言うと「川の水のように人も家も長い間同じ場所には留まっていないね」ということだと思う。そしてこの内容は、今更になって私を魅了する。

 

 昔から日本が好きだったし和というものが好きだった。万華鏡はいつまでものぞいていられたし、畳の匂いが好きだし、ちりめん細工の小物を欲しがった。しかしそれは私の中のごく限られた一部分であって、ハンバーガーもポテトチップスも好きだしドラゴンに乗って空を飛びたかったし、ソファーに座ったり寝転んだりした。つまり、日本文化への愛着はあっても、私はどこまでも現代人であって、それがすべてではなかった。

 

 そんな私がより日本人に誇りを持つに至ったのは、やはり剣道の影響が大きい。剣道はスポーツとなった昨今だが、私のコーチは主に精神論者であったので、私たちに剣道、ひいては武士の心得を説いていた。「本当に人を切るつもりで竹刀を構えろ」というようなことをいつも言われていた。申し訳ないことにその多くの教えを私はいま思い出すことができないが、度々武士道の話をされていたと思う。それが私にピタリと合って、私はどんどん剣道にのめり込み、中高の6年を剣道に捧げた。

 

 大学に入ってから、剣道を離れ、小学生レベルの知能になり、馬鹿なことをたくさんして、そんな自分に虚しくなり、友達を失って、心の充実を求めた。その時、ふと文楽をみたくなって、ネットを検索。文楽劇場は大阪にあり、東京にある国立劇場では歌舞伎の鑑賞教室を開演していた。高校の時の芸術鑑賞で能をみたが、歌舞伎は見たことがなかったのでその場でチケットを購入。見に行くことにした。

 

私の中で歌舞伎は「○○屋!」と叫ぶイメージが強く、右も左もわからない素人が見に行くのはむしろ失礼だとすら思っていた。その時行くことにしたのは、それが「鑑賞教室」というものであったからというのが大きい。演目の前に、歌舞伎についての講義があるのだ。

 実際私がいちばん驚いたのは、思ったよりも音が大きいことだった。ツケの音はもちろん、役者の声、そして音楽。私は3階席一番後ろだったのだが、よく聞こえた。過去の私のように芸術鑑賞で来たのであろう高校生たちがうるさくなければ、おそらくもっと明瞭に聞こえたはずだ。残念なのは、やはり遠くて表情までは見られないことであった。あとは花道の先がやはり見えない。あれはおそらく一階席でないと見れないのだろう。鑑賞教室の内容自体はとても良かった。舞台の上手下手から、舞台の仕掛け、普段は見えない黒簾の中の楽器隊まで、ありとあらゆることを教えてくれる。歌舞伎ど素人の私でも安心して楽しめた。

 そして本編。これも楽しめた。イヤホンガイドを借りていたのだが、解説はためになるものの、邪魔な時もある。台詞が古語というか、江戸の言葉なので聞き取れず意味のわからない時も多々ある(私の勉強不足も大きい)。しかし、私の感想としては、言葉はあまり重要ではなく、役者たちの立ち振る舞い、それから場面場面に合った音楽、そして舞台をキュッと締めるツケ、見応えのある回し(舞台)!西洋ではミュージカルを総合芸術と呼ぶが、日本では歌舞伎こそが総合芸術だと、私は声を大にして言いたくなった。

 

つまり、私はたった一度の鑑賞で、見事に日本の伝統芸能にノックアウトされてしまったのである。日本にはこんなに素晴らしい文化があるんだと、日本の人にも、海外の人にも、ものすごく自慢がしたい!

 

と、ここまで書いたはいいが、私はまだまだ何も知らないことだらけで、もっと勉強をするべきなのだけれど、夏休み自堕落な生活をおくり続け、今に至っている。

 

 もうすぐ夏休みが終わる。もはやまた何もせずに終わってしまったのだけれど、出来れば後期、日本の伝統芸能を調べたいと思っている。

『風に舞いあがるビニールシート』森絵都

 

 単位が取れたか落ちたかはさて置いて、私はもしかしたら人生最後となる夏休みを手に入れた。大学のゼミの教授には「今年の夏休みが勉強する最後のチャンス」と言われ、私ももう、今年何かしなければもう一生何かを成し遂げることはないと思った。

  同級生たちはインターンやら資格勉強やら、そういう来年の就職活動の準備をしている中、私は何をすると決意したかというと、「読書」である。馬鹿といえば馬鹿らしく、それが来年以降の自分のためになるのかと問われれば、私も必ずしも肯定は出来ない。しかし、今読まなければ今後読まない本は確実に存在するし、何より年々読書量が減っていく現状が悲しく苦しくもあったので、今年の夏休みの目標を「25冊読むこと」とした。そして、ただ読んだだけではきっといろいろと忘れてしまうので、できる限りここに書き記したいと思う。

 今日はそんな夏の読書の第1冊目、森絵都著『風に舞いあがるビニールシート』である。

 

  第135回直木賞を受賞した今作。

 

 愛しぬくことも愛されぬくこともできなかった日々ばかりを、気がつくと今日も思っている。

大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語

 

という文句が帯についている。私はこの帯というものを考える人は本当に凄いなあと常日頃から思っているのだが、殊にこの帯は秀逸だ。

 

  収録されている話は「器を探して」「犬の散歩」「守護神」「鐘の音」「ジェネレーションX」「風に舞いあがるビニールシート」の六つなのだが、とにかく私はこのうちの最後、「風に舞いあがるビニールシート」にすっかり泣かされてしまって、そのことしか読後は考えられず、恥ずかしながらこの六つの物語の共通点が見えなくなってしまっていた。

 そんなときのこの帯の「大切な何かのために懸命に生きる人たちの、6つの物語」という文句。これだ!これこそが主題だ!と興奮した。

 人にはそれぞれ時として他の人には理解し難い大切なモノがあって、それがあるから生きていられる。例えば「器を探して」におけるヒロミの作るケーキ、「鐘の音」における仏像、そして「風に舞いあがるビニールシート」における難民保護活動……。そしてそれは、譲れないものとなって生き方を変え、人を変える。この小説たちの素晴らしいところは、それらを決して飾ったりせずに、極めて現実的に描いているところだとおもう。何かを大切にするということは、他の何かをおろそかにすることであったり、大切にしすぎたそれを傷つけることだったりと、必ずマイナスの面が出てくる。それを丁寧に隠さずに描くことで、物語が私たちの身近なものとなって迫ってくる。

 

  この6つの中で「犬の散歩」と「風に舞いあがるビニールシート」のふたつは犬の保護活動や難民保護活動といった、自分以外の他者を大切に思う人の物語である。私は残念ながら現時点で自分はそういう人間ではないという自覚があるのだが、だからこそハッとさせられた一文がある。

 

いや、私はすでに関係してしまったのだ、と。(p82)

 

つまり、関係なのだ。人間は自分に関係のあることには関心があり、関係のないことには関心がない。「風に舞いあがるビニールシート」の主人公は転職したことで難民保護活動に関係を持ってしまったし、エドに出会ってしまった。そうして人生が変わって、最後の決意に繋がる。

 

 私と同じように大切な何かを見つけられていない人にはこの物語たちは羨ましく思えるだろう。それぐらい、彼彼女らの生き方が眩しく、美しく見える。しかしその大切なものは宝石のような仰々しくきらびやかものではなく、晴れの日に干した布団並に身近にある暖かなものであった。

 

 心動かされて感動すること間違いなし、オススメです。

 

 

 

 

萩尾望都『トーマの心臓』

 昔から漫画と小説が好きだ。小説との出会いは小学校3年生の夏休みに出会った「パスワードシリーズ」(松原秀行/青い鳥文庫)だとはっきり覚えているが、漫画に関しては覚えていない。と、いうのも私が生まれた時から我が家には漫画が溢れかえっていたのだ。母が大の漫画好きなのである。私の記憶にないぐらい幼少の頃母の大切な『つらいぜ!ボクちゃん』(高橋亮子/小学館)に塗り絵をしてしまったのは未だに恨まれ続けている我が家の許されることのない大罪のひとつだ。そういうわけで、私は幼い頃から少女漫画に親しみ、小学校高学年からは少年漫画にも手を出し、いまや立派なオタクと化した。

 そんな私が心の底から出会って良かったと思い、もっと多くの人に読んで欲しいと願うのが萩尾望都先生の『トーマの心臓』である。
 
【あらすじ】
「雪は水音をたててくつの下でとけた」「まぢかに春」、十三歳のトーマ・ヴェルナーが死んだ。その知らせを聞いた、ユリスモールの元に1通の手紙が届く。それはトーマからの遺書だった。 「ユリスモールへ さいごにこれがぼくの愛 これがぼくの心臓の音 きみにはわかっているはず」 友人、オスカーに支えられながらトーマの影を振り払おうとするユリスモールの前にトーマにそっくりな転校生、エーリク・フリューリンクが現れるが……
 なぜ、トーマは死んだのか。なぜ、ユリスモールはトーマの愛を受け入れられないのか。ドイツのギムナジウムを舞台に少年たちの愛と成長を描く。
 
 『トーマの心臓』は週刊少女コミックにて1974年5月5日号から12月22日号に連載され、現在小学館文庫から全一巻まとめられている。メディアミックス展開として森博嗣氏による小説版(舞台が戦前の日本に変更されている)や、劇団Studio Lifeによる舞台版がある。また、前日譚に「訪問者」という主人公ユリスモールの友人のオスカー・ライザーの物語や、後日譚に「湖畔にて」というエーリクの物語があるのでハマった人は是非読んで欲しい。ちなみにこのふたつは2016年5月28日発売の月刊flowers(現在増刷中)の別冊ふろくとして収録されている。『訪問者』は小学館文庫にて文庫化されているが「湖畔にて」は『萩尾望都パーフェクトセレクション2 トーマの心臓Ⅱ』にしか収録されておらず、手に入りづらいので月刊flowersが最も手に入りやすいかもしれない。
 
 さて、あらすじの最後において私は「少年たちの愛」と書いた。これをみて「BLか、苦手なんだよな」と思った方もいると思う。実際『トーマの心臓』と『風と木の詩』(竹宮惠子/白泉社文庫)をBLの原型としている意見も多く見られるし、私も異論はない。しかし現代のBLと呼ばれるジャンルとこの『トーマの心臓』はまったくの別物であるということを私は声を大にして言いたい。
 たとえばこの場面
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(『トーマの心臓』p344/萩尾望都/小学館文庫/1995)

 おわかり頂けるだろうか。彼ら少年たちの愛は万物を愛するものであり、現在のBLと呼ばれるジャンルとは大きく違う。「さびしさゆえに人は愛さずにいられない」これこそが『トーマの心臓』における愛の正体であると思う。
 
 そして萩尾望都先生はこの「愛」という人間の内面をふきだしの外のセリフを用いて表している。つまり心の中のセリフやモノローグ(独白)、他者のセリフの思い返しなどをふきだしの外を用いて重ねて表現することで人間の内面を奥深く描いているのだ。
例えばこの場面
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この場面でユリスモールが実際に発している言葉は「あ・あ!!」からはじまる「あ」であり「それではきみは----」からはじまるトーマのセリフはユリスモールの回想、「トーマ・ヴェルナー  あっちへ いってくれ」からはじまるセリフはユリスモールの心の声である。つまりこのページは3層のセリフが重なっている。人間の複雑な心理状況をふきだしの外を使ってより丁寧に描いているのだ。現代の漫画において何も珍しくはないこのふきだしの外の技術は萩尾望都ら1970年代の漫画家において確立された。萩尾望都先生の偉大さがわかって頂けただろうか。
 
 『トーマの心臓』は性として未分化の「少年」たちを通して、性に囚われない人間の根源的な愛を描いた漫画史に残る大傑作である。BLはちょっと、と思う方も騙されたと思って是非読んで欲しい。
 
 
【参考文献】
『教養としての<まんが・アニメ>』大塚英志+ササキバラ・ゴウ/講談社現代新書/2001