就活の願掛けで髪の毛を伸ばしている話。

 タイトルの通り、就活の願掛けで髪の毛を伸ばしている。

 

 初めはショートカットよりも髪の毛を結んで就活をしたいという思いから伸ばし始めた。たしか去年の冬のはじめくらいだったと思う。

 これは願掛けにしようと決意した、というよりも、気づいたらこれが願掛けになっていた、と言った方がしっくりくる。なんとなく就活が終わるまで切るのはやめよう(整えるのは除いて)と伸ばし始めた時から思っていて、この前ふと、あっこれって願掛けなんじゃあないかと思った。

 そう意識すると、段々長くなっていく髪の毛が煩わしくなると同時に、早く就活を終わらせたい気持ちと、願掛けをしている自分に酔う気持ちがムクムクと湧いて湧いて、こんなブログにまでしたためている。

 私は基本的に神様を実態として信じていないのだけど、人間の思念の象徴、あるいは自然への畏怖として神様を信じている。つまるところ何かにすがりたい気分の時以外は神様を意識することなんてないし、願掛けなんてミサンガを作ったくらい(おまけに結局自然に切れる前に自分で切った)。

 

 そんな私が、何故か髪の毛を伸ばすという願掛けをしている。自分で面白いと思う。

 

 いま、髪の毛は肩甲骨くらいの長さで、これは人生の中で2番目に長い。ショートカットの方が毎日便利だし、実際似合っていると思うのだけど、ここまで来るとこの願掛け、成就するまでやめられないなあと思う。

 

 上手く行けば来週には終わるはずだったのだけど、実際上手くいっていないので、おそらく今月いっぱいはまだ髪は切れないだろう。

魂の話

 人には得手不得手がある。といえば、誰もが納得することなのだけど、この得手不得手というのはいうほど簡単な問題ではないと思うんだ。

 

 たとえば人付き合い。これは得手不得手が深刻になるもののひとつだと思う。ただこの人付き合いが不得手の中にも、より深刻な、魂の性質的に他人との関わりが持てない人というのが存在するのだと思っている。そして私も例外なくそうだ。

 

 じゃあ私に友達がいなくて寂しいやつなのかというと、実際はそうではない。少なくない数の友達がいて、みんなが私に親切にしてくれる。そういう友達を持てているという事実は本当に有難いことだと思う。

 

  じゃあお前は他人との関わりを持てない魂ではないじゃないか、と思われるかもしれないけど、それはちょっと違う。私は他人と関わることが嫌いになれないだけなのであって、魂は他人との交流によって削られている。頭の中で次の言葉と次の行動を考え実行し、他人の話をインストールした上でアウトプットを試みる。意識しなくてもみんながやっている行為ではあるが、私はこれに体力を必要以上に持っていかれるタイプの人間なのだ。

 

 これは言われれば私もそうだという人が多いと思うし、なんなら全人類みんなそうなのかもしれない。しかし他人とのかかわり合いの中で魂を削らずにはいられない人間は、実はそんな多くないのだと思う。

 

もうひとつ私の魂の話をすると、私の魂は非常に疲れやすい。他人とのかかわり合いというのは何も言葉を交わすことではなく、自分以外の人間が存在する場所にいることが苦痛であるということだ。そしてこの疲れやすい魂は更に脆く傷つきやすく、そして再生に時間のかかるものである。

 

 再生のためには魂の栄養を摂取するか、あるいは長時間の休養が必須になる。目に見えない魂の傷は、まずどの地点にあるのか触診せねばならない。それをうっかり抉ってしまうと、さらに再生は遅くなる。

 

 魂は人によって形も性質も何もかもが違って、指紋のように誰1人同じものを持つことはない。私より深刻な性質の魂の人もたくさんいる。ただもしその性質を二分するのなら、強固な魂と脆弱な魂にしたい。

 

強固な魂を持つ人たちは、魂が強固な状態が当たり前なのであり、魂の回復も早い。柔軟で、傷つきにくく、再生力に優れた魂は、脆弱な魂の気持ちがわからない。

 

 強固な魂の人々は、脆弱な魂の人々を、それは怠慢なのだ、怠惰なのだと責め立て、かつその人のためを思って言ってあげているのだと、それは迷惑な恩着せがましい言葉を平気で吐いてくる。なんという傲慢、なんという驕りだろう。

 

 それは許されない蛮行であるのに、世間はそれを黙認し、かつそれが正しいことなのだと、美徳なのだと位置づけてしまい、脆弱な魂はそれらからなるべく傷つかないように代わりとして肉体を傷つけるのだ。

 

脆弱な魂は確かに褒められるものではないのかもしれない。しかしだからといって、蔑まれるものではないはずなのだ。

 

人は他人のことがわからない。魂は目で見ることが出来ないから、お互いに探りあって魂をみる。

 

疲れやすい魂を持つ生きづらさは、理解を受けない苦しみとも戦わなければならない。

2017年の目標

 Tumblrで書いてたら全部消えたのに腹が立って、やっぱりはてなブログに書き残そうと思う。

 

①やらない後悔をしない

これは去年に引き続きの目標! 去年これを目標にしたことで満足のいく1年に出来たので、今年もこれは継続したいな。特に就活があるから、やれるだけのことをやりたい気持ちがあります。あと私は基本的に臆病だから何か新しいことをするのに躊躇う癖があるので、これを念頭におきたい。

 

②攻撃的にならない

これは結構何に対してもで、特に他人に対してっていうのを本当に、気をつけたい。他人に悪いからとかいう偽善者めいたことではなくて、他人に対して攻撃的な気持ちになって口だけで悪意をはいてしまうと後で自分が後悔するのでね。ユーリon ICEのユリオがアガペーに気づいた瞬間みたいに、ストンと落ち着きたいです。つまりは穏やかに過ごしたいってことになるのかな?

 

③旅行に行く

これは就活と大学があるからだいぶ厳しいかもしれないけども。でもこの前に弾丸日帰りで京都行った時、意外とすぐ旅行できちゃうなってことがわかったので、またいっぱい色々行きたいな!とりあえず今行きたいと思ってる土地は金沢です。あと海外ならインドネシア行きたいな〜〜〜!せめて金沢は行こうと思います。

 

④新しいことをはじめる

まだ全然何を始めるか検討もついてないんだけど、できたら日本伝統文化に関係あることがいいなと思ってる。就職しても変わらない何かが欲しいなということです。

 

⑤思いっきり勉強する

わりとこれが1番大事だと思う。いよいよ今年は4年生になっちゃって、高校生の時ずっとやりたかった文学の勉強が出来るのもあと1年ないと思うと悲しいなあ。高校生だった私も、社会人になった未来の私も満足するぐらい、最後にちゃんと勉強したいと思います。幸い先生に課題を貰っていることだし、まずはそれを頑張ります。

 

 

こんなもんかな!去年よりなんかしっかりした(?)目標になった気がする。卒業も就活もあって想像するだけで不安になる1年だけど、今年も大きな病気なく健やかに過ごせたらいいなと思います。

 

来年の今頃笑っていられますように!!

 

 

無題

 最近気づいたのだけど、私は映画をあまり観ない。自分が映画を観ていなかったことに気づかないくらい、映画を観ない。いや、そうではないな。最近、「私が」映画を観ていないことが不自然に思うようになった。

 

 そもそも私は大学生になるまで、自分が多趣味であることを自覚していなかった。まあ、高校生の時は今よりも更に輪をかけたクソサブカル女というやつで、多趣味というよりはクソサブカル女だったのだが。(クソサブカル女って語感がいいよね)

 またあるいは、私立中高一貫女子伝統校の閉鎖的空間では、生徒たちの自己確立が進んでいたように思う。つまり、周りの人間たちにも趣味があり、趣味がないと私に話してくる友人にも好きなものくらいはあったので、特別自分が多趣味だとは思っていなかったのだ。ああ、それと、例えば今では趣味にカウントしている美術館に行くという行為も、中高時代は教養として当たり前のことだった。まあそれだけ周りに知識人階級のブルジョワジーがいたわけだ。

 それが大学生になって、受験結果が芳しくなかったのもあり、周りの人間が180°変わってしまった。そうして、本当に趣味がない、またはミーハーな人間が周りに増え、自分の多趣味さがだんだんと浮き彫りになってきたのである。また、大学生になって更に私は趣味が増えたというのも少なからずあろう。

 そんな中で、私は何故か映画を観ない。いや、観ることには観るけれど、趣味まで発展しないのである。クソサブカル女出身の、現在多趣味な女が、何故映画というコンテンツを趣味としないのだろうか?

 

 映画が趣味の人は、まず観る本数が圧倒的に違う。年に一二回映画館に足を運ぶくらいの私と違って、下手したら毎日くらいの勢いで映画館に足を運び、かつDVDで過去の映画を観る。好きな監督の名前を言うことが出来、その監督の特徴を言うことだって出来るかもしれない。そして映画好きな人たちの本当にすごいところは、どこのカメラワークが、だとか、どこの画面が、だとか、そういう私には持ち得ない視点で映画を観ているところだと思う。

 要するに私は、映画というものの見方がわからない。面白い面白くないという、エンターテインメント的な主観に基づく判断は出来ても、それ以上のことが出来ない。そうして映画が私の中で一過性のものになってしまって、あとに残らないのだ。

 

 さて、ここまで書いて、続きがいっこうに思いつかない。私は映画の話をして、一体何に繋げたかったんだろう。そもそもブログを書こうと思ったのは、アメトークの読書芸人をみたからなのだけど。

 

  まあ、そう、結局私はまた本について書こうとしていた。私の人生、誇れることは本が好きなことだけなんじゃないかと思う。というより、どれだけ多趣味になっても、継続できる根幹の趣味は読書でしかないということだ。

 大学受験の時、最初は社会系統の学部に進もうとした。少しでも就職を考えてのことで、かと言って商学や経済経営には興味が持てなかったので、せめてもの社会学だった。それで志望校も考えていたし、模試の判定も出していた。

 でも結局文学部にした。大学でくらい、好きなことをやろうと思ったのだ。その相談を誰にもせずにひとりで決めたせいで、受験が始まっていた2月の頭に突然、「文学部なんか受けて就職はどうするんだ」と親に問われた。なんて答えたか覚えていないが、全くそのとおりで、就活直前の今になって考えなければならなくなった。

 そして今考えてもやはりどこかで文学と関わりたい思いが断ち切れない。私は少し文学に固執しているところがあって、違うなあ違うなあとほかの選択肢を消してしまうところがある。単位も取れていないくせに、そんなこと拘るなよと思うんだけど。

 

 好きなことを仕事に、なんて甘い考えなんだろうと思う。夢を見ていいのはだいたい思春期までだ。私は現実を受け入れなくてはならない。

 

 

雑文

 蹲踞から立ち上がって、中段の構えをとるときの、「スッ」とする感じが忘れられない。試合の時も地稽古の時もただの練習の時だって、構えたらもう目の前の相手に技を決めることしか考えていなかった。その日帰ってきたテストの成績も友人との諍いも明日に迫る部活動の雑務の書類を何一つ書いていないことも、全てを意識から外してただひたすらに目の前の相手に向かう。私の剣道とはそういうものだった。

 「面をつけたら私は別人になる」という、バカみたいな妄想をいつもしていた。別人みたいに無慈悲に、ただ強くなりたかった。自分の重い身体を捨てて、別のなにかになりたかった。

 いまでも思い出す試合がひとつある。それは中学の時の地区大会個人戦。相手に1本取られて絶体絶命大ピンチの状況で、何故か負ける気がしていなかった私。練習の時にいつもやっていた、踏み込んで相手の竹刀を払い面を打たせて胴を打つ、払い胴を思い切り決めて1本。相手の竹刀が上がるスローモーションな瞬間と考える前に動いた自分の身体を鮮明に覚えている。そしてその1本を決めたあとの、いまでは親友となった相棒の喜びの声。相手はそれから萎縮、私がもう1本あっさり決めて勝利。あの時から、私はずっとあの瞬間を追いかけている。

 もう剣道をやめて4年目になった。あれから殆ど竹刀すら握っていない。何度かまたやろうとしてやめているし、アトピー持ちの私は剣道に向いていないことも理解している。なのにそれでもまだ夢に見る。竹刀を構えるあの瞬間を夢に見る。気持ちをひとつのことに絞るあの感覚は、何モノにも変え難く、ただひたすらそれを追いかけている。

私たちはもう随分と遠くに来てしまった

 三日前あたりから、世界にむせ返るような甘い香りが漂っている。言わずもがな、金木犀である。そんな金木犀の季節を、

 

期待外れな程 感傷的にはなりきれず

目を閉じるたびにあの日の言葉が消えてゆく  

 

【赤黄色の金木犀/フジファブリック

 

と歌ったのは故・志村正彦その人だ。激しく眩しい日差しが陰りを見せ、気温はだんだんと低くなり、夏のきらめきは記憶の隅へと追いやられる季節。そんな季節に私たちはノスタルジーを覚えるものであろうが、思ったより感傷的、何かにつけて涙脆くはなれない。それは、まだ夏の名残が空気に漂うからか、あるいはもう、あの日の言葉が消えてゆくほど遠くに来てしまったからであろうか。

 

 遠くに来てしまったと私がよく思うのは、何においても幸福だった幼少時代と、振り返ると輝かしい高校時代だ。

 

 幼少時代の、まだ世界が全て自己の内にあった幸福は、どう足掻いても取り戻せないものであるし、年齢を重ねるにつれて手放さなければならないものであると思っている。そこに後悔があるわけではないけれど、ただ、遠くに来てしまったなあと思うのだ。

 

 高校時代は、「振り返ると」とあえて書いた通り、その中にいた私は、真っ暗闇の中を這っていた。1寸先はまさに闇で、何においても不安と閉塞感を感じながら生きていたような気がする。いや、これはあまりに悲観的かもしれない。しかしながら、学校に行きたくなくて1時間目をよくサボったこと、休み時間の度に机に突っ伏していたこと、本を読んでいたこと、長い昼休みにひとりで母の作った弁当を食べたこと、週に1回美術準備室に行っていたこと、移動教室が苦痛だったこと……今思えばつまらないことが、何と深刻な問題だったのだろう!しかしそれらに苦しみぬいていたはずの時間は、いまでは眩しい程に記憶が補正されている。当時の私の本当の気分は、当時のブログの中にしか存在しないが、もう消してしまったのでどうしようもない。ただいま考えるのは、当時の輝かしさも苦痛も、全ては濁りのないものだったということだ。今の私が当時の苦痛を受けても、当時のようにはならないだろう。高校生は純粋だった、そして世間を知らなかった。

 

 夏休みの直前、太宰治の『人間失格』を読んだ。高校時代から何度もトライし、何度も挫折していた小説。その時期の私は気分が最底辺にまで落ち込んでいて、私と世界の間に分厚い膜が張ってある状態であった。つまり、何をするにも気力がわかず、息をするのも億劫で、何かを食べることもしないような、そういう状態だ。色々あって、読む必要のあったそれだったのだが、私は驚くことに物凄く興味深く読めてしまった。あんなに何度も挫折したのは何だったのかと、不思議に思うほどであった。読めば読むほどに葉蔵に肩入れをする自分を発見し、そんな自分を批判する自分が現れる様すらも、それが葉蔵への共感となっていた。

 

自分は立って、袂からがま口を出し、ひらくと、銅銭が三枚、羞恥よりも凄惨の思いに襲われ、たちまち脳裡に浮ぶものは、仙遊館の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、質草になりそうなものの一つも無い荒涼たる部屋、他には自分のいま着て歩いている絣の着物と、マント、これが自分の現実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。

 

【『人間失格太宰治 / 青空文庫

 

これは、葉蔵がツネ子との心中を「実感として」決意した場面である。とても簡単に要約すると、金がないから死のう、ということだが、これはある程度裕福に生きてきてしまった人間が、真に金がないということを理解した時の絶望や恐怖、そして虚無感があらわれた極めて現実的ないい場面だと思っている。金がない、財産がないということは、単に何も買えやしないということではなく、自分は物理的にも精神的にも何も持っていないということに繋がってしまう。死のう、死んでしまおうという状態よりも、「生きて行けない」という、八方塞がりのどうしようもないやるせなさが、心中へと導いた。

 

 読後、少し調べると、『人間失格』は私のように大いに共感する人間と、全くわからない人間がいるらしい。おそらく高校までの私であれば全くわからない内容だったからこそ、挫折を繰り返していたのだろう。そうしてまた、私はもう随分と遠くに来てしまったと実感するのだ。

 

 

歌舞伎鑑賞教室に行った話

 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 

方丈記鴨長明

 

 高校生の時、授業で冒頭を暗記させられた。その時は覚えることに必死で、中身は問題ではなかった。受験の時、必死になって覚えた助動詞はもう覚えていない。よって、細かい訳は無理だが、大雑把に言うと「川の水のように人も家も長い間同じ場所には留まっていないね」ということだと思う。そしてこの内容は、今更になって私を魅了する。

 

 昔から日本が好きだったし和というものが好きだった。万華鏡はいつまでものぞいていられたし、畳の匂いが好きだし、ちりめん細工の小物を欲しがった。しかしそれは私の中のごく限られた一部分であって、ハンバーガーもポテトチップスも好きだしドラゴンに乗って空を飛びたかったし、ソファーに座ったり寝転んだりした。つまり、日本文化への愛着はあっても、私はどこまでも現代人であって、それがすべてではなかった。

 

 そんな私がより日本人に誇りを持つに至ったのは、やはり剣道の影響が大きい。剣道はスポーツとなった昨今だが、私のコーチは主に精神論者であったので、私たちに剣道、ひいては武士の心得を説いていた。「本当に人を切るつもりで竹刀を構えろ」というようなことをいつも言われていた。申し訳ないことにその多くの教えを私はいま思い出すことができないが、度々武士道の話をされていたと思う。それが私にピタリと合って、私はどんどん剣道にのめり込み、中高の6年を剣道に捧げた。

 

 大学に入ってから、剣道を離れ、小学生レベルの知能になり、馬鹿なことをたくさんして、そんな自分に虚しくなり、友達を失って、心の充実を求めた。その時、ふと文楽をみたくなって、ネットを検索。文楽劇場は大阪にあり、東京にある国立劇場では歌舞伎の鑑賞教室を開演していた。高校の時の芸術鑑賞で能をみたが、歌舞伎は見たことがなかったのでその場でチケットを購入。見に行くことにした。

 

私の中で歌舞伎は「○○屋!」と叫ぶイメージが強く、右も左もわからない素人が見に行くのはむしろ失礼だとすら思っていた。その時行くことにしたのは、それが「鑑賞教室」というものであったからというのが大きい。演目の前に、歌舞伎についての講義があるのだ。

 実際私がいちばん驚いたのは、思ったよりも音が大きいことだった。ツケの音はもちろん、役者の声、そして音楽。私は3階席一番後ろだったのだが、よく聞こえた。過去の私のように芸術鑑賞で来たのであろう高校生たちがうるさくなければ、おそらくもっと明瞭に聞こえたはずだ。残念なのは、やはり遠くて表情までは見られないことであった。あとは花道の先がやはり見えない。あれはおそらく一階席でないと見れないのだろう。鑑賞教室の内容自体はとても良かった。舞台の上手下手から、舞台の仕掛け、普段は見えない黒簾の中の楽器隊まで、ありとあらゆることを教えてくれる。歌舞伎ど素人の私でも安心して楽しめた。

 そして本編。これも楽しめた。イヤホンガイドを借りていたのだが、解説はためになるものの、邪魔な時もある。台詞が古語というか、江戸の言葉なので聞き取れず意味のわからない時も多々ある(私の勉強不足も大きい)。しかし、私の感想としては、言葉はあまり重要ではなく、役者たちの立ち振る舞い、それから場面場面に合った音楽、そして舞台をキュッと締めるツケ、見応えのある回し(舞台)!西洋ではミュージカルを総合芸術と呼ぶが、日本では歌舞伎こそが総合芸術だと、私は声を大にして言いたくなった。

 

つまり、私はたった一度の鑑賞で、見事に日本の伝統芸能にノックアウトされてしまったのである。日本にはこんなに素晴らしい文化があるんだと、日本の人にも、海外の人にも、ものすごく自慢がしたい!

 

と、ここまで書いたはいいが、私はまだまだ何も知らないことだらけで、もっと勉強をするべきなのだけれど、夏休み自堕落な生活をおくり続け、今に至っている。

 

 もうすぐ夏休みが終わる。もはやまた何もせずに終わってしまったのだけれど、出来れば後期、日本の伝統芸能を調べたいと思っている。