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無題

 最近気づいたのだけど、私は映画をあまり観ない。自分が映画を観ていなかったことに気づかないくらい、映画を観ない。いや、そうではないな。最近、「私が」映画を観ていないことが不自然に思うようになった。

 

 そもそも私は大学生になるまで、自分が多趣味であることを自覚していなかった。まあ、高校生の時は今よりも更に輪をかけたクソサブカル女というやつで、多趣味というよりはクソサブカル女だったのだが。(クソサブカル女って語感がいいよね)

 またあるいは、私立中高一貫女子伝統校の閉鎖的空間では、生徒たちの自己確立が進んでいたように思う。つまり、周りの人間たちにも趣味があり、趣味がないと私に話してくる友人にも好きなものくらいはあったので、特別自分が多趣味だとは思っていなかったのだ。ああ、それと、例えば今では趣味にカウントしている美術館に行くという行為も、中高時代は教養として当たり前のことだった。まあそれだけ周りに知識人階級のブルジョワジーがいたわけだ。

 それが大学生になって、受験結果が芳しくなかったのもあり、周りの人間が180°変わってしまった。そうして、本当に趣味がない、またはミーハーな人間が周りに増え、自分の多趣味さがだんだんと浮き彫りになってきたのである。また、大学生になって更に私は趣味が増えたというのも少なからずあろう。

 そんな中で、私は何故か映画を観ない。いや、観ることには観るけれど、趣味まで発展しないのである。クソサブカル女出身の、現在多趣味な女が、何故映画というコンテンツを趣味としないのだろうか?

 

 映画が趣味の人は、まず観る本数が圧倒的に違う。年に一二回映画館に足を運ぶくらいの私と違って、下手したら毎日くらいの勢いで映画館に足を運び、かつDVDで過去の映画を観る。好きな監督の名前を言うことが出来、その監督の特徴を言うことだって出来るかもしれない。そして映画好きな人たちの本当にすごいところは、どこのカメラワークが、だとか、どこの画面が、だとか、そういう私には持ち得ない視点で映画を観ているところだと思う。

 要するに私は、映画というものの見方がわからない。面白い面白くないという、エンターテインメント的な主観に基づく判断は出来ても、それ以上のことが出来ない。そうして映画が私の中で一過性のものになってしまって、あとに残らないのだ。

 

 さて、ここまで書いて、続きがいっこうに思いつかない。私は映画の話をして、一体何に繋げたかったんだろう。そもそもブログを書こうと思ったのは、アメトークの読書芸人をみたからなのだけど。

 

  まあ、そう、結局私はまた本について書こうとしていた。私の人生、誇れることは本が好きなことだけなんじゃないかと思う。というより、どれだけ多趣味になっても、継続できる根幹の趣味は読書でしかないということだ。

 大学受験の時、最初は社会系統の学部に進もうとした。少しでも就職を考えてのことで、かと言って商学や経済経営には興味が持てなかったので、せめてもの社会学だった。それで志望校も考えていたし、模試の判定も出していた。

 でも結局文学部にした。大学でくらい、好きなことをやろうと思ったのだ。その相談を誰にもせずにひとりで決めたせいで、受験が始まっていた2月の頭に突然、「文学部なんか受けて就職はどうするんだ」と親に問われた。なんて答えたか覚えていないが、全くそのとおりで、就活直前の今になって考えなければならなくなった。

 そして今考えてもやはりどこかで文学と関わりたい思いが断ち切れない。私は少し文学に固執しているところがあって、違うなあ違うなあとほかの選択肢を消してしまうところがある。単位も取れていないくせに、そんなこと拘るなよと思うんだけど。

 

 好きなことを仕事に、なんて甘い考えなんだろうと思う。夢を見ていいのはだいたい思春期までだ。私は現実を受け入れなくてはならない。