僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

 

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること

みっつめは車の免許とってもいいかな

なんて思っていること

 

(くるり/ハイウェイ)

 

 突然だが、私が人生のテーマと公言している曲は、くるりのハイウェイである。

 

いつからそう思ったのか、自分では記憶していないのだけど、恐らく大学1〜2年生の頃だったような気がする。

高校の時も大学の時も、私はいつも「ここではないどこか」に行きたかった。現実逃避と指摘されるとおっしゃる通りですとしか言えないのだが、理由はまさに"百個くらいあって"だった。

 

高校生の時、中央線を使用していたのだけど、「このまま終点まで行こう」と思い立ったことがある。確かテスト期間だったので、平日の真昼間、疎らな人たちしかいない車内で、何をするでもなく電車に揺られた。

次の日のテスト勉強をしなければいけないだとか、徹夜の疲れで眠いだとか、そういうことを思っていたはずなのだけど、覚えているのは立川を過ぎたあたりから風景が長閑になったことと、目の前の座席に小さな女の子とそのお母さんが座っていたことだけだ。

午後の、電車に差し込む眠気を誘うような柔らかな光と、母と娘の微笑ましいやりとりを眺めていた。

 

結局高尾に着いてすぐに戻ったのだけど、あれは私にとって一種の旅だった。

高校生の、まだ親の庇護下にいる私ができた精一杯の旅だった。

 

旅をしたから自分が劇的に変わる訳ではない。

旅をしたから何か得られるものがある訳ではない。

 

ただ少し、寄り道をするだけだ。

 

私は日常生活をミッション化する癖があって、例えば仕事が終わって家に帰ったら今日のミッションはスーツから部屋着に着替えることと洗濯と晩御飯を食べること、洗い物をすること、コンタクトを外して化粧を落として布団に入ることだった。

つまり人間として生活を送るためにしなければならないことが、全部ミッションになる。

 

この話を会社の先輩にしたら、

「一体あなたは何に追われてるんだ?」

と問われたのだけど、おそらく私が追われているのは生きるためにしなければならないことだ。

 

生きることにつねに疲れている私は、旅に出たいのだ。旅先でもきっとそれらは付きまとってくるのだけど、旅に出るとやってもやらなくても良くなる気がするのだ。

 

嗚呼、旅に出たいな。