年始の所感

 新年あけましておめでとうございます。

このブログは2016年6月からつけているようなので、なんと3回目の年越し。

もうそんなに経つのかと、日々のはやさに毎日新鮮な気持ちで驚くことが多くなりました。

 

さて、もう2019年になってしまったけれど、2018年の振り返りでもしとこうかという気分になったので、簡単に振り返っておきたいと思う。

 

2018年は総括すると苦難の年だった。

原因は至極ハッキリとしていて、学生と社会人の2足のわらじをはくことになったからである。

それが決定したのは2017年の残暑だったけれど、2018年2月の卒業発表で自分の学籍番号がなかったのはなかなかに応えた。

留年しても働かせてくれと会社に頼み込んで働き始めたはいいけれど、元来体力のない私には本当にキツかった。

ゼミの先生である恩師は私に「キツイぞ」とおっしゃっておられたけれど、現実は私の想像をはるかに超えてキツかった。

 

まず、そもそもとして仕事がキツい。

営業は数字との戦いであって、目標もいう名のノルマは永遠につきまとう。

しかしだからといって対外的に働きかけているだけで済むこともなく、社内社外の書類作成や商品作りすら我々がやるのだから、時間はいくらあっても足りないのだ。

やりがいのある仕事をといって選んだ弊社だったので、そういう意味ではやりがいしかない仕事である。

入社して8ヶ月、目まぐるしい毎日の中で業務を覚えてこなしていく毎日に嫌気がさしたことなんて何度もある。

自分のキャパのなさ、弱さ、思うように出来ないことに苛立ち、悲しみ、家で泣いたことも1回ではない。

 

ただそれでもやはり経験値は知らず知らずのうちに溜まってきていたようで、最近は分からないことや出来ないことが虫食いのようになってきた。

これからは虫食いを潰しつつもプラスαの働きをするために自分との向き合いが必要になってくるのだと思う。

 

そのための第1歩、自分の時間の使い方への見直しは明日にでもやっていきたい。

 

 

一方で学業はどうだったかというと、前期はまるでダメだった。

まず出席が出来ない。東京まで帰ったはいいが家から出られないことばかりで、結果として前期の取得単位はゼロ。

現在後期試験の真っ只中。何とか卒業しなければならない。

 

文学研究は最初のうちはまだ顔を出していたけれど、やっぱりこれも夏前にはきびしくてやめてしまった。

しかしながら卒論でやり残したこと、調べたいことはまだまだ存在する。

なんとかやりたいなあとおもっている。

ボヘミアン・ラプソディと私と音楽

 

今話題のボヘミアン・ラプソディをみた。

控えめに言ってサイコーだった。いやもうサイコーなんて言葉よりもサイコーだった。

 

 

(あまりにサイコーすぎて長文のブログが出来てしまいました。めちゃくちゃネタバレ含めて語りたいと思います。)

 

 

ボヘミアン・ラプソディをみた多くの若い人がそうであるように、私も映画が公開されるまで、全くQueenに触れたことがなかった。

強いていえば高校時代の同級生がそれはもう熱心なQueenファンで、文化祭のステージでフレディの真似をしていたのを見たぐらいだ。

 

本当に正直なことを言えば、私はQueen、というよりもフレディ・マーキュリーという人に対して多大な偏見を持っていた。

それは幼い頃からQueenの映像がテレビで流れる度に、最も身近な人が「フレディは見た目がゲイっぽすぎる」と批判的なご意見をのたまっていたせいだと思う。

 

つまり、私の中でフレディ・マーキュリー

「カリスマバンドのゲイっぽい見た目のゲイ」

というイメージでしかなかった。

 

ところがボヘミアン・ラプソディが大ヒットして、街中でQueenの音楽がよくかかるようになった。

知人友人がボヘミアン・ラプソディを勧めてきた。

そして極めつけは、先日購入した(!)中古車のaudioの中に、Made In Heavenが入っていた。

 

こうして私は少しずつボヘミアン・ラプソディに近づいて、そうしてついに観てきたというわけだ。

 

ググると史実と内容が合わなかったりするんだけれど、それは些細なことだと思う。

あの映画が描きたかったのは、フレディ・マーキュリーという人の孤独とその運命なのだから、それがいちばん効果的に魅せられるように順番を入れ替えただけのことだ。

 

そう考えると、あの映画の構成は本当にすごい。

私は最後のライブエイドを観に行ったと言っても過言ではないのだけど、あの映画のライブエイドはそれまでのストーリーによって補完されている故にあそこまでの感動を呼び起こすのだ。

 

Queenというバンド、そして何よりフレディ・マーキュリーの孤独を嫌という程わからされて、まるで昔からのファンのような気持ちでライブエイドのパフォーマンスが観られる。そうすると、音楽はただのそれ以上に響いてくる。

 

だからこそ、このヒットでしょう。Queenを全く知らなかった私のような人間も、Queenを知った気になれるのだから。

 

 

 

フレディ・マーキュリーの孤独について考える。

 

孤独とは、言うまでもなくひとりぼっちであるということなのだが、あの映画におけるフレディの孤独の場合は、フレディを真に理解する人がいなかったことだと思う。

彼は、生まれの面においても、性的指向の面においても、その才能においても、他人と違ってしまった。マイノリティだった。

 

いや、ここまで書いて思ったのだけど、たぶんそういったことは、彼の孤独の一面にすぎない。

彼の孤独は、それよりも、彼が満たされない器を持っていたから引き起こされた。

 

彼の周りの人が、彼を受け入れていなかった訳ではない。メアリーにしろ、Queenのメンバーにしろ、フレディのことを愛していた。けれどフレディの器は満たされなかった。

 

満たされない器を抱えて、満たしてくれるものを求めて、大きな家を買ってみたり、盛大なパーティを開いてみたり、ドラッグでぶっとんでみたり、性行為という擬似的な愛に溺れてみたりしたのだ。

そんなことで器は満たされる訳では無いことは、映画の外にいる我々からすれば当たり前のことなのだが、当事者というのはわからないものだし、それ故にフレディは足掻いて足掻いて、そうして心身ともに傷つき、疲弊し、器は空っぽになる。

 

そこであの、雨のシーンがくるのだ。

 

メアリーとメンバーとジムによって器は再び満たされ始めて、そうして最終的に、ライブエイドという場の音楽によって器は完全に満たされる。

 

鑑賞者たる我々は、音楽によるカタルシスを得る。

 

 

 

例えばフレディの孤独が、よくあって分かりやすい、周囲の人の裏切りによって引き起こされるものであったのなら、この映画はここまで素晴らしいものとはならなかったと思う。

 

満たされない器は誰もが持つもので、それによる孤独は誰もが経験しうるものだからこそ、フレディの孤独が痛いほど身に沁みるのだ。

 

 

 

 

 

随分長くなってしまっているが、最後にボヘミアン・ラプソディをみた多くの人がやっているであろう自分語りをしたい。

 

ボヘミアン・ラプソディは音楽の気持ちよさ、素晴らしさ、人生での必要さを思い出させてくれた。

 

私は高校生ではおやつを我慢してCDを買ったり、毎月ライブに行ったりするような音楽小僧だったのだが、大学生以降年に数回行くか行かないかとなり、音楽から足が遠のいていた。

 

最近もiTunesや通販で音源を手に入れているものの、前回ライブに行ったのはたしか6月だ。

 

仕事と住んでいる場所の都合でライブに行けないこともあるけれど、悲しいかな、高校生の時のように音楽にのめり込むことが少なくなったと言わざるを得ない。

 

ところがボヘミアン・ラプソディを観てからというものの、買ったボヘミアン・ラプソディのサントラと、マイ・カーの中のMade In Heavenを隙あらば聴いている。

 

もうQueenのライブが開催されないことが虚しくて仕方ない。

フレディ・マーキュリーがこの世にいないことがこんなにも悲しい。

 

それもこれも、ボヘミアン・ラプソディでライブエイドの気持ちよさを味わってしまったからだ。音楽はサイコーだと思わされたからだ。

 

嗚呼、あの頃の私はこの気持ちよさ、解放感を求めていたな。そしてそれは今の私にも必要だな。

そう思った。

 

ベースやバスドラムのお腹に響く低音と、歪むギターが奏でる気持ちよさ、そして沁み渡るボーカルの歌声と歌詞。人々の熱気と熱量に囲まれながら、私もまた熱に浮かされて心が解放される感覚は、やはりライブでしか味わえなくて、それは何物にも変え難いのだと。

 

 

人生はルーティーンだ。朝起きて、仕事をして、ご飯を食べて、風呂に入って寝るというルーティーン。

 

ルーティーンは生きるために大切だけど、窮屈極まりなくて、2日に1回はいつまでこれが続くのかと絶望する。

 

そんな中で、素晴らしい音楽を全身に浴びて、身体を揺らして、日頃の鬱憤すべてどうでも良くなることがどれだけ大切なのか。必要なのか。

 

人生は短い。呆気なく終わることもある。そんな中で、ルーティーンばかりにかまけて、音楽による素敵な体験を逃してばかりいるのは、私の人生ではないなと思った。

 

 

 

本当に長々と書いてしまったけれど、兎に角みんなボヘミアン・ラプソディを観ようということと、音楽は素晴らしくて人生に必要不可欠なんだってことが言いたかっただけです。

 

 

ここまで読んでくれた方がいらっしゃったら、本当にありがとうございました。

 

 

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

 

僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

ひとつめはここじゃどうも息も詰まりそうになった

ふたつめは今宵の月が僕を誘っていること

みっつめは車の免許とってもいいかな

なんて思っていること

 

(くるり/ハイウェイ)

 

 突然だが、私が人生のテーマと公言している曲は、くるりのハイウェイである。

 

いつからそう思ったのか、自分では記憶していないのだけど、恐らく大学1〜2年生の頃だったような気がする。

高校の時も大学の時も、私はいつも「ここではないどこか」に行きたかった。現実逃避と指摘されるとおっしゃる通りですとしか言えないのだが、理由はまさに"百個くらいあって"だった。

 

高校生の時、中央線を使用していたのだけど、「このまま終点まで行こう」と思い立ったことがある。確かテスト期間だったので、平日の真昼間、疎らな人たちしかいない車内で、何をするでもなく電車に揺られた。

次の日のテスト勉強をしなければいけないだとか、徹夜の疲れで眠いだとか、そういうことを思っていたはずなのだけど、覚えているのは立川を過ぎたあたりから風景が長閑になったことと、目の前の座席に小さな女の子とそのお母さんが座っていたことだけだ。

午後の、電車に差し込む眠気を誘うような柔らかな光と、母と娘の微笑ましいやりとりを眺めていた。

 

結局高尾に着いてすぐに戻ったのだけど、あれは私にとって一種の旅だった。

高校生の、まだ親の庇護下にいる私ができた精一杯の旅だった。

 

旅をしたから自分が劇的に変わる訳ではない。

旅をしたから何か得られるものがある訳ではない。

 

ただ少し、寄り道をするだけだ。

 

私は日常生活をミッション化する癖があって、例えば仕事が終わって家に帰ったら今日のミッションはスーツから部屋着に着替えることと洗濯と晩御飯を食べること、洗い物をすること、コンタクトを外して化粧を落として布団に入ることだった。

つまり人間として生活を送るためにしなければならないことが、全部ミッションになる。

 

この話を会社の先輩にしたら、

「一体あなたは何に追われてるんだ?」

と問われたのだけど、おそらく私が追われているのは生きるためにしなければならないことだ。

 

生きることにつねに疲れている私は、旅に出たいのだ。旅先でもきっとそれらは付きまとってくるのだけど、旅に出るとやってもやらなくても良くなる気がするのだ。

 

嗚呼、旅に出たいな。

 

入社半年現在。

 

最近仕事が上手くいかない。

というネガティヴな記事を書きます。

 

上手くいかないというよりは、ツケを払っているという方が正しい気がする。

失敗の原因は痛いほど私にあって、少し手を抜いたところだとか、うっかり忘れていたことが、驚くほど大きな失敗となってしっぺ返しをされているのだ。

 

そもそもその、ここは手を抜かないだとか、ここはこうするのだという指導を拒否してしまっていたことが、根本の原因なのだとおもう。

私は先輩たち曰く「覚えが早い」のだそうで、それは私が同じことを2度言われることが嫌いという性格ゆえのことなのだが、いまのこのやらかしの連続加減をみると、そんなことを言わずに(態度に出さずに)教えを乞うべきだった。

 

自分がその時何にイラついていたのか覚えてないが、半年間で最も私が後悔している出来事がひとつある。

 

まだ8月くらいのことだった。

取引先との打ち合わせで、舐められるまいとしてひとりで行こうとしたら、上司に止められて先輩と同行することになったことがある。

私は先輩がついてくることで取引先とのやり取りが奪われると思った他、交渉が上手くいかなかったこともあってイライラしてしまった。

私は感情がモロに態度に出るので、その様子を見た先輩が必死にフォローをしてくれたのだけど、私はそのフォローにすらムカついてしまって、先輩にもひどい態度をとった。

 

その時の自分はあまりにも子供じみていて、思い出しただけで恥ずかしさといたたまれなさに穴があったら入りたい気持ちになる。

しかしながら、その時の自分はその時の自分なりに精一杯だったのだ。

 

 

いまだってそうだ。自分なりに精一杯やっているつもりではあるのだけど、それが私自身の未熟さゆえに全てが上手くいっていない。

 

後悔はしても仕方の無いことだけれど、それでもやはり自分のこれまでの態度を振り返ると、後悔以外に言葉が見当たらない。

このまま2年目に入るのだけは避けたいのだが、果たしていったい何から手をつけてどうすればいいのだろう。

 

生まれ変われたら楽だけれど、人間にその機能はついていないのだ。

 

 

青木ケ原樹海と私について

 母が山梨に来た。

 一人暮らしを始めてからマザコンをこじらせているので、どうしても山梨に来て欲しかった私はぶどう狩りという名目で母を誘ったのだった。

 

 山梨は東京から近く、日帰りで行けることから私も幼い頃によく訪れていた。私と山梨の思い出は今住んでいることを除けば、幼い頃のぶどう狩りと、最近のものでも夏に開催されるフェスくらいだ。

 

 しかし母と姉は山梨に対してより深い思い入れがある。

 

 それは、私の母と姉がフジファブリックというバンドの大ファンだからである。 フジファブリックのフロントマンであった故・志村正彦の生誕の地が山梨県富士吉田市であり、この地はまた同時に彼が眠る地でもあるのだ。

 

 もちろん私もフジファブリックが大好きであるが、それは志村正彦フジファブリックであって、いまのフジファブリックは正直あまり聞いていない。(それでも好きな曲はある。)

 母と姉に関してはそうではなく、いまのフジファブリックのことも愛しているし、足繁くライブに通っている。

 

 そういうわけで、今回の母の山梨滞在でも富士吉田市を訪れることになった。

 富士吉田市では北口本宮冨士浅間神社や新倉富士浅間神社、忠霊塔、道の駅富士吉田などを訪れ、志村正彦の墓に手を合わせてきたのだが、それは今回の記事で言いたいことではない。

 

 今回ブログを書こうと思い至ったのは、富士吉田に向かう道中で、青木ケ原樹海を通ったからだ。

 

 私はいつ、青木ケ原樹海のことを知ったのだろう。いつの間にかそこが自殺の名所であることを知っていた。

 

 自殺はダメだなんて、小学生でも知っていることだけど、思えば私は小学生の時から死にたかった。そして中学生くらいの時には、青木ケ原樹海への行き方を調べていたように思う。

 

 東京に住んでいた時、青木ケ原樹海は行けなくはないけれど現実的には行くのが難しい場所だった。電車を乗り継いで、バスに乗ってやっと行ける場所で、お金も4000円弱かかる場所だった。

 死にたくなって青木ケ原樹海への行き方を調べても、所持金が4000円すら無かったから諦めたこともある。

 

 あの頃の私にとって、青木ケ原樹海は、自殺をすることと同じくらい近くて遠かった。

 

 しかし今日、驚くほど呆気なく、青木ケ原樹海にたどり着いてしまった。自分でも気づかないうちに、青木ケ原樹海の中の道を車で走っていた。

 

 なんだ、来れてしまったじゃないか。

 

 

 拍子抜けしたというよりも、驚いたというよりも、救われた気がした。

 

 青木ケ原樹海に辿り着けたことで、私はもう死ななくていいと思った。

 死にたかったのはいつも自分だけれど、それでも死にたくはなくて、でも死にたいほどに辛かったあの時の自分が救われた気がした。

 

 それほどまでに青木ケ原樹海はふつうだった。何も意識していなくても、ただ目的地への通過点で通るようなところだった。

 

 青木ケ原樹海が終わりではなかった。ゴールでも、どん詰まりでもなかった。

 そこはただ、ほかの場所と同じように地続きにあった。特別なことをしなくても来れた。

 

 

 最近は死ぬよりつらいことが分かるようになった。以前までは死ぬことが全てだったけれど。

 

 これは大人になったということなんだろうか、感性を失ってしまったのだろうか。だんだんと、太宰の気持ちがわからなくなるのだろうか。

 

 それもそれで怖いことだと思う。死にたがりの私は、いつかどこかに消えてしまうのだろうか。

 

 

社会人一年目

こんなものを書く暇があったら寝たらいいのにと思いながら書いている。

 

ついに就職をしてしまった、驚くほどしんどい。毎日覚えることが多すぎて脳みそはパンク寸前、単純に体力もないし、一人暮らしの食生活はそれはそれは悲惨なものなので、元気も出ない。痩せて嬉しいけどこれは望んでいる痩せ方ではない。

 

ただストレスがある割にアトピーに出ないのは毎日規則正しく生活しているからだと思う。ある意味健康的だ。

 

しかし万年不健康と言われた私が本当に健康な健全な生活をおくれているのかと問われればそれはまあ否と答えるしかないだろう。

 

喫煙量は3倍くらいに増えたしな。

 

 

 

新しいことの知識を覚えるのは面白いけど、一方で私の中の文学部が悲鳴をあげている。

 

「こんなに現実を知ってしまったら、もう詩を感じられないのでは?」

 

言葉に対する感性、美に対する感性。この曖昧で繊細な感覚は消えてしまうのでは?

それだけで生きてきた私はどこにいくのだろう。

 

まだモラトリアムしてるのかよ、お前のその感性では食ってはいけんだろう。

 

菊池寛は「芸術第二、生活第一」と言った。

本当にその通りだ。

 

しかし元来の私は金がないから死のうと思う太宰治のようなタイプだったのだ。

 

生活は平凡です、平凡でも困難です

藤原基央がうたっているけれど、本当にその通りです。

 

ビジネスパーソンに憧れる一方で私は社会不適合者だという認識から抜け出せないでいる。それはただの逃げなのかもしれないけれど。

2017年の振り返り

去年のブログで立てた目標を一個ずつ検証します。

 

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①やらない後悔をしない

これは去年に引き続きの目標! 去年これを目標にしたことで満足のいく1年に出来たので、今年もこれは継続したいな。特に就活があるから、やれるだけのことをやりたい気持ちがあります。あと私は基本的に臆病だから何か新しいことをするのに躊躇う癖があるので、これを念頭におきたい。

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これはどうだろう。なかなか難しい目標を立てたなあ去年の私。就活のことをあげているけど、最近そのことでブルーになっているのでこれは就職してみないとわからない。

ここで文学をやめて人生それでいいのかってずっと考えている。

 

 

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②攻撃的にならない

これは結構何に対してもで、特に他人に対してっていうのを本当に、気をつけたい。他人に悪いからとかいう偽善者めいたことではなくて、他人に対して攻撃的な気持ちになって口だけで悪意をはいてしまうと後で自分が後悔するのでね。ユーリon ICEのユリオがアガペーに気づいた瞬間みたいに、ストンと落ち着きたいです。つまりは穏やかに過ごしたいってことになるのかな?

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これは無理でした。今年も色々怒りに燃えていました。それで自己嫌悪のループ。

 

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 ③旅行に行く

これは就活と大学があるからだいぶ厳しいかもしれないけども。でもこの前に弾丸日帰りで京都行った時、意外とすぐ旅行できちゃうなってことがわかったので、またいっぱい色々行きたいな!とりあえず今行きたいと思ってる土地は金沢です。あと海外ならインドネシア行きたいな〜〜〜!せめて金沢は行こうと思います。

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金沢に行きました。夏も伊勢参りに行ったし、わりと満足している。

 

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④新しいことをはじめる

まだ全然何を始めるか検討もついてないんだけど、できたら日本伝統文化に関係あることがいいなと思ってる。就職しても変わらない何かが欲しいなということです。

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残念ながら何もしていません。いい加減着付け教室とか行きたいんだけどね。 

 

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⑤思いっきり勉強する

わりとこれが1番大事だと思う。いよいよ今年は4年生になっちゃって、高校生の時ずっとやりたかった文学の勉強が出来るのもあと1年ないと思うと悲しいなあ。高校生だった私も、社会人になった未来の私も満足するぐらい、最後にちゃんと勉強したいと思います。幸い先生に課題を貰っていることだし、まずはそれを頑張ります。

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これはこの時には考えついてないぐらいたくさん勉強しました。本当にこの時点の私舐めてんなあってぐらいめちゃくちゃ勉強した。でもそれが本当に楽しかった!自分でも驚くぐらい勉強が楽しくて仕方なかった。このままずっとやりたいなって思ったぐらい、楽しい一年をすごせました。まだあと数ヶ月あるから、全力で駆け抜けたいと思う。

 

 

 

今年は就職先が決まったり留年が決まったりと将来について、これからについてたくさん考えた1年だったかな。ちゃんと考えられたのかなって今もずっと悩んでいるけど。

あとこの1年、先生について思いっきり勉強出来たのは一生の財産だと思う。本当はまだまだ勉強し足りないし、もっとやれば見えてくるものだってあることも分かったから、やりたいなって思っているけど。私がいるのは文学のぶの字に手をかけたところだよなあ。卒論は期限ギリギリすぎて納得出来たかと言われると微妙なところもあるけど、あんなに頑張ったことって剣道の段審査依頼じゃないかと思うので、そこまで頑張れたことを嬉しく思います。

 

 

今年1年はなんかまさに駆け抜けた!という感じで毎日が一瞬で過ぎてしまったけど、私は最後の1年を大切に出来たのかしら。できたと思いたいなあ。

 

ギリギリセーフ!良いお年を!