社会人しんどいなあって話。
タイトルの通りの愚痴を書きます。
このブログ、ぼちぼち仕事のことを書いていたりするので自分の心境の変化が面白く感じられるのだけど、まあいつの時も仕事はしんどい。
この前普通に起きたら8:53で、間に合うはずもなく遅刻したんですが、その時に「うわあやっちゃったどうしよう!?」とかではなく、「あ、遅刻だな」くらいにしか思わなかったんですよ。
その時に(ああ、私はこういうやつだった)って思ったんですよね。遅刻に慣れすぎていて遅刻を重大事件に捉えられない悪い癖。
遅刻って、怒る人は本当に怒るし、どれだけネットを検索しても擁護する意見は殆どなくて、他人の一分一秒を奪うことが如何に卑劣で最悪かってことが言葉強く書かれている。
本当にそうだなあと思う一方で、遅刻を擁護する人がいないのは、遅刻が悪いことだっていう社会の共通認識、大前提があるからでしょう。
時間を守ることは社会の約束事なわけだ。
私はこの社会の約束がどうも苦手で、時間の概念もあまり好きではないのも相まって、時間に関して敏感に居られないのだ。
ただ、社会人になってからはとても気をつけているし、腕時計はずっとつけているし、遅刻だけはしないぞという強い気持ちで生きているのだけど、どうにもそれが無理な時があって、この前はそういう時だった。
たぶん身体の調子が悪い時にこうなってしまうのだけど、そういう自律が出来ない時があって、時計を見ているのに時間感覚が間延びしてしまう。
この前の時だって、五回くらい目覚ましは止めたし、なんなら間に合う時間に1回起きたのに布団に戻ってしまったのだから救いようがない。
これは気の持ちようの問題であって、甘ったれと言われればそうなのかもしれないけれど、そんなことは他人から言われるまでもないことだ。
この話で私が言いたかったのは、社会の約束ってあるよねということだ。
社会人、私が八方美人だからかもしれないけれど、それはもう他人という他人に気を使わなければ生きていけないのだ。
天上天下唯我独尊なんて許されるはずもなく、毎日毎日あちこちの顔色を伺って、頭を下げて、笑顔を作って、声のトーンをあげて、気遣いを見せて。
それだけでも疲れるのだけど、疲れたなんて言っている暇もなく、向上心を求められ続けて、成績成績成績。
馬車馬とはよく言ったものだ、走り続けなければ生きる資格もないように思う。
そんなこと思わずにみんなは真面目くさった顔をしてなんてことのないように毎日働いていて、ああ、私はやっぱり社会不適合者と思わざるを得ない。
そりゃあ誰だって休みたいでしょう、仕事なんかしたくないよと言われるだろうけれど、そんなことを思いながらも働けている人々は偉いしすごい。
休みたいとか仕事がしたくないとかじゃないのだ、仕事は楽しいし無限に続く体力があるのなら休まなくたっていい。
ただ社会の約束を少しだけ緩めて欲しい。
いや、結局は自分の気の持ちようなのはわかっている。誰に強制されたわけでもないことだ。
それなのに強制を感じてがんじがらめに囚われているのは、私自身がそうしているからなのだろう。
もう少し肩の力を抜きたいなと思う。